3月19日、この三連休に入る前日に、寄付をする際に購入したTシャツが届いた。”OBP 沖縄縦断 24時間駅伝”とプリントされている。
本来なら、これを着て、きょう21日は、ライヴに行く予定だった。沖縄のアイドルグループ、OBPが、新宿ReNYにて、ワンマンライヴをするはずだったのだが、新型コロナウイルスの感染拡大にともなう諸々の影響により、ライヴは延期となったのである。
その代わり、今日は、YouTubeで昨年行われた初のワンマンライヴが配信された。これは、昨年5月に渋谷WWWにて開催されたライヴのことで、私ysheartが以前ブログにレポートしたはずなので、そちらを探されたし。
続けて、夕方17時40分からは、メンバーの一人で24時間駅伝にも参加した、りりーがOBPを卒業するということで、那覇のDkokusai+(OBPの所属事務所兼イベント会場)からOBPの無観客ライヴが生配信された。
「遠距離」「AENAI message」「バイバイ」の3曲の後、写真で2015年、りりーが小学5年生だった頃から振り返り、それから、りりーからメンバー一人一人への言葉。りりーが、なめらかではないけど自分で考えた言葉で話しているうちに、私が、昨年5月にチェキを撮ってもらった時も含めて、これまでのイメージとは違った、りりーの内面が見えてくるようであった。やっぱり人は、話さなければ(話すのを目の当たりにしなければ)理解できない、という感じがする。
「君のそばに」「Song Yell」「Dar-win!!」を歌ってから、りりーが、メンバーやファンからのメッセージを受け取って19時15分ごろ終了。りりーは”OBPをよろしく”という話こそすれど、自身がどうするのかは話さなかった。その辺があっさりしているのは、この人らしいかもしれないな。
ただ、りりーの言葉の中で、”東京って大変ですよね”っていうしみじみした言葉が出たように、沖縄の人にとって、相変わらず、東京は果てしなく、超えるべき壁のような場所なのかなと思った。自分が、今世紀の初めごろに、沖縄からたくさん来た期間従業員の人たちも、やはり同じような緊張や心の壁のようなものを持っている、そういう雰囲気があった。沖縄の他のアーティストたちを見ても共通した雰囲気がある。OBPのリーダーの裕子さんは、東京OBPと沖縄OBPがあるわけじゃない、全部でOBPだ、と言っていたけれど、自分もそれがOBPだけでなく、スタッフやファンの間にも通ずる感覚であってほしいと願っている。同じ国で空間的距離が離れているだけだということに違和感を覚えるのは良いことではないと思っている。しかし、何が隔てているのか、まだ釈然としない。
ところで、このブログは、本来なら、2月1日に、沖縄の話で始めても良かったのである。
以前のブログの続編として、2月26日に第1回を公開したが、冒頭に載せた画像は、那覇の首里城公園から見た市街地の景色である。それには、私のそういった想いがあったのであり、内容につながりがないのに、ただ載せたわけではなかった。
昨年、首里城の復元された正殿が全焼してしまったときには、自分が愛着を持っていた建物がなくなってしまったことに大きなショックを受けた。本当に自分の中のいくつもの時間と出来事をつなぐ要所としての首里城の焼失は、自分の人生のいくらかのつながりを消してしまうほどの重大事であった。
1月31日から2月1日夕方にかけて、OBPは、「首里城再建プロジェクト 沖縄縦断24時間駅伝」と銘打って、メンバーたちが沖縄本島を走り、バトンをつないだ。その行動を通して、首里城再建のための募金を募るという趣旨であり、私も賛同した。19日に届いたTシャツはその証である。
2月1日、ラストランナーの宜野座麻鈴がDkokusai+にゴールして、メンバーが「Progress」などを歌って、駅伝プロジェクトは幕を閉じた。麻鈴さん、裕子さん、ココナさんらと話ができた。東京から那覇に来るのは久しぶりで、三人を驚かせたことで僕の目的は達した(笑)それは冗談として、沖縄に新しい想いを込める貴重な旅行となったのだった。
1日お昼過ぎには、青空のもと、首里城公園にも訪れた。歓会門をくぐり、焼失した正殿から距離を隔てたところを通って時折、撮影もしたが、そこから見る限りでは、思ったよりも、首里城跡の外形は保たれていたように感じて、安堵した。
僕が初めて首里城公園に来たのは、1994年のことで当時は、復元した正殿(今回焼失した正殿)は、まだなかった時代だったので、その時代=自分にとっての沖縄、にまで戻っただけだとも思える。
守礼門をくぐってもう一度振り返ると、大きな喪失感は穏やかに海のように消えていくようであった。
沖縄から東京に戻ってしばらくして、OBPは、那覇市役所を訪れたようすを動画にアップ。私たちの募金は、無事に届けられた。那覇市には私たちの沖縄への想いを生かし続けてもらいたい。
※いったんこれにて。今後、加筆する可能性がありますが。