ysheartの長い旅

観戦、観劇、鑑賞をきっかけに感傷に浸る旅の記録です。

#06 令和2年目の始まり

昨日は4月30日。ああ、令和になって1年が終わるのだなと、気がついて、にわかに感慨がわいてきた。

 

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東京都内の様子をライヴカメラで確かめる。例えば、夕方のレインボーブリッジ。

 

1月下旬に春節に危機的な気配を察知して、2月初旬には、マスクがどの店でもなかなか見つからないのを体験した。2月下旬から、そろそろ、外出は危ないのだと思って自粛に近い意識をもって、3月は、上旬から下旬にかけて、しだいに、自分もまた、”不要不急の外出”をする者だと見られないかと同調圧力を警戒するようになり、そして。

世間では、春分の頃あの3連休を”気のゆるみ”だと形容したがったものだ。僕は必ずしもそうは思っていない。何より、2月末の休校要請も、政府は遅い、なぜ卒業式もできないのか、という世間の声があった・・・そのころ、すでにその通り。遅かったのだ。絶対に今、失ってはならない日本の文化の宝、志村けんさんがコロナで亡くなってしまった。

4月に入る頃、首相はようやくマスクを着用する姿勢を見せ始めた。ここから、政治家たち、都知事の記者会見の記者たちも、マスクそして、人と人との距離を、実践し始めたのが、テレビや生配信で顕著にみられるようになっていった。都知事は、志村さんの死を”最大の功績”と、とりようによっては不謹慎な言葉で表していたが、”ロックダウン”など聴き慣れない横文字で先ず聴衆の気を惹こうという手法は世論の反発を招く要素があると察してくれたのか、そのような言葉遣いはしだいに修正されていった。

首相や与野党の一部議員も世論の気配が自分たちに好意的でない場面が多くなってきたことを彼らなりに危ないと察したのだろうか、情けないほどのスローなペースではあるが、いったん決めた給付の内容をわざわざ修正するなど、過ちを改めるという動きもとれる場合が出てきた。

そういった多くの変化への架け橋となったのは、首相が決めた緊急事態宣言の発令(4月8日から、5月6日までの設定)であった。各自治体は、防災無線で、3密を避けること、不要不急の外出を避けること、などを知らせるようになり、週末の人出が減り、通勤も、4月上旬から中旬にかけては、出勤から在宅勤務・テレワーク・リモートワークへの移行が世間が毎度生み出す前出の同調圧力のかいもあってか、しだいに進んでいった。

そして、医療態勢や自宅待機のありかたなど、決定的に世間が危機意識をもって目を見張ったのが、一般の自宅待機者の死、女優の岡江久美子さんが亡くなったことであったと感じる。

その存在がメディアの文化に接するうえでいつも自分の心の力だった、ふたりの方が亡くなったとの報は、僕を落胆させるのに十分であった。子供の頃から、そして大学生のころから、自分自身を前に進めてくれたものが世界から消えてしまうこと、文化の喪失とはそういうことだ。どんなに大きな失敗をしたのか、人々は特に為政者は意識をしているだろうか。前述したように、察しているからそれなりに動きが変わってきているのっだが、本当に自分たちに喪失がなければ、自分が失ったと感じなければ、本当に変わることはない。

僕自身も4月中旬以降、体調のあやしい時が間々あって、検温をかなり注意してするようになっている。37度までは行っていないし、味覚も嗅覚も問題ない。だから、実は別の症状とみていいのかもしれない。しかし、今はそれでも、もしや?と不安になってしまう。

ともあれ、5月1日、令和の2年目を迎えた。僕は、今日も終わる時間になってみると、全体としては健康と思える。外出自粛、おうち時間、在宅勤務日の増加の効果なのだろうか、バランスの良い食事を実践できるようになったし、適度な散歩・日光を浴びることを意識して以前のようなふらふらした感じが全身から消えたし、時間をゆっくり過ごすことで今まで高速度で吸収したつもりで通り過ぎたもの例えば音楽読書などを見直すことができている。家族との電話会談も以前より多く、また、愛知県の知人にも元気かとチャットのやりとりもする。経済も、店舗の休業のおかげで?以前より堅調に推移している。これまでの自分を懐かしい動画を通して整理できる気もする。

社会も同様だろう。怪我の功名で、皮肉にも”働き方を改革”、また”家族の時間や学校との関係を考える”機会になっている。それぞれの知恵や行動範囲、適性を見つめなおすことで”一億人が総活躍”する社会に変わるかもしれない。僕は今、与党を支持する気持ちはないし、もともと、自分の判断で、どんな勢力にも与する人である。しかし、ともかく、為政者も意図しなかったかたちで、世の中の価値観や構造が大きく変わる、その過渡期に僕は立っているのだと思う。

平成の後半、ブログを始めた。”どこかへ行って何かを見る”ことでレポートして想いをつづるというスタンスで来たが、今は、どこへも行かないことで何かを見出す、そのほうが自分にとって重要だと思える。以前はほんの近い場所だと思っていた場所でさえ今はめったに行けない。たとえば、写真はライヴカメラだ。インターネットで、ライヴカメラを見て今の様子を見る。人と話すときは、仕事でも然り、ZOOMという遠隔通信のアプリケーションでやりとりすればよい。

ともあれ、令和2年5月1日を迎えることができた。ちょうど1年前のことも少しずつ思い出している。