7月4日、期日前投票に行ってきました。明日が投票日だから、あと24時間ぐらい待てばよいではないか、と思うかもしれません。実は、僕自身、《期日前投票》を利用したのは、選挙権が付与された平成の初め以来の半生で、これがたったの2度目なのです。
普段の選挙であれば、ぎりぎりまでじっくりと考えて、日曜日にのんびりと、近所の投票所に向かう、という流れがあります。その流れにちょっと気疲れしていたというのがひとつの理由。もうひとつは、コロナ情勢下で、最初にめぐってきた、政治家選びの機会に、このフラストレーションと正義の想いを昇華させるタイミングとして、投票日前日、選挙活動のハイライトあるいは総決算というべき最終日にすべてを終わらせたいと思ったことが、理由です。
連日、インターネットを中心とした世間からの情報で、名前の挙がっている有力候補は、現職を含めて数人。このうち、街頭でスタッフがマスクをせずに声をあげていた候補は消し、候補自身がマスクせずに動き回るのを見て消し、・・・現職と若干名が、私的な投票対象に絞られてきたところで、現職が、マイナス材料を提供してくれてしまったので、だれに投票するか、ほぼ決まってしまい、期日前投票!となった次第です。
自分の過去の経験や単純な好き嫌い、ゆずれない要素で、今回はこの人にしてみよう、という判断は、容易に下せるものです。
それとは別に、忙しさにかまけて、ここまで全然、街頭演説をライヴで見てこなかったので、選挙活動最終日の今日は、ライヴで見に行こうと思い、出かけました。
その候補者は、夕方、新宿駅南口で最後の演説を始めました。
コロナ情勢下、3密を避けよう、聴衆にディスタンスをとってもらおうという、候補者なりの配慮は感じられました。横にいた手話通訳担当者はフェイスシールドをしており、途中でステージ袖に現れたゲストも、マスクをしていました。ゲストの参院議員お二人も同様です。
この候補の話には、信条となる軸のようなものが明確に感じられた点で、よい演説だったと評価できます。
”何かに役に立つことがなければ生きている価値はない”と思わせるのが今の社会の問題なのだ、と説きます。
通常、この論理で話す場合、”いいや、誰でも、絶対、誰かの役に立っているんだよ”と諭す展開になるのを予想しますが、この候補は、そうではなく。
”役に立つ”という考えそのものを必要ないとする。”生きているだけで価値がある”、そういう論法をとるわけです。本当に、いさぎよいです。
その例として、2016年に起きた、相模原の施設での殺傷事件を挙げます。あの犯人は、役に立たない人たちを殺傷して、自分が役に立った、という論理に持って行ったのだ、という趣旨の話でした。ああ、あの事件の犯人の論理をそのような視点で解するのか、と納得できる気がしました。
また、会社で、ハラスメントやマウンティングが起きるのも、同様な論拠で伝えようとします。正直なところ、感心しましたよ。
候補は、昨年夏の参院選で、所属政党から2名の重度障がい者の方を議員に当選させたものの、自身は落選してしまった(するとは思わなかった)と。政治を変えることをうったえるには、(目の前に東京都知事選がある以上)権力をもって底上げすべく、国会議員の総選挙(待っていられない)より先に来た都知事選に当選して知事になるしかない(候補は、国会議員になったら総理になりたいとも明言されていた)、と。
僕は、本当に国民、一般市民のために仕事をしたいという人なら、このくらいのことを勢いをもって言える人でないといけないと思っておりますから、このような演説は心の奥にすとんと収まったのです。
ことわっておきますが、僕は、他人の演説や上手な言葉に取り込まれる人間ではありません。このysheartは、そうそう簡単に他人の術策に陥ることはないのですが、それでも、いいものを聞けたという充足感は得られました。
この候補が、かりに、当選したとしても、公約通り、財源を確保し、学校を無償にして、住宅を保障できればいいですが、実現できなければ、次の選挙までに都民の力で外せばよく、国会議員への道を国民の力で塞げばよいことです。しかし、期待できる候補ではあると思いました。20時ちょうどに演説は終了。意味のある時間が過ぎました。
他の候補の演説で、納得した、よかったという人は、その候補を信頼して投票に行けばよいと思います。その時の充足感と信頼の精神で行くことです。
普段、投票に行かない人、投票に、まだ行ったことがない若い人、今回は、選挙に行こう。暇つぶしでもよい、虚無的(ニヒル)でもよいから(笑)、自分の信念や価値観を究極まですりあわせることを試みて、自分がいちばん信頼できると判断した候補に1票入れて、投票日の雰囲気を体験してきては。