ysheartの長い旅

観戦、観劇、鑑賞をきっかけに感傷に浸る旅の記録です。

#22 那覇の旅から1年

沖縄那覇に行ってからちょうど1年が過ぎた。

久茂地の大きな交差点、その近くの横断歩道を渡った記憶がすぐに戻ってきた。あっという間だったかもしれないが、遠くへ出かけたことが、この1年あまりに少なかったせいか、だいぶ昔のような気もしてくる。

 

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2020年2月1日、首里の空。

 

1年前の今日、2月1日は、12時ごろに那覇空港に着いた。ゆいレールに乗って、首里城公園に向かい、いちばん外側の景色は、思っていたほど無残でないことに少し安堵して(それでも、その内側は酷かったいうような話を、あとでアイドルの一人から聞いた)、夕方、沖縄のアイドルの現場に行って、駅伝の完走を祝ったのであった。

 

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2020年2月1日、国際通りの夕空。

 

”駅伝”は、その焼失した首里城の復元のため募金を呼び掛けるプロジェクトであり、国際通り沿いにある事務所のアイドル・OBPのメンバーがタスキをつないだ。私もその場で楽しい時を過ごし、翌日、本当に久しぶりだった那覇を離れて、東京に戻った。

その後、日本は4月からの緊急事態宣言発令など、長いコロナ禍を体験してそれを脱していない。今は、そうやって飛行機で移動できる状況ではない。

私の外国人の知り合いたちも、ある者は予定していた東京観光で私と再会するはずがかなわず、ある者は、東京から遠い場所にいて会えないまま、日本を後にしていた。

人間関係はどうなってしまうのかと思った。こんなに移動しない私の生活はいつ以来だろう。いろいろと気力を失くしていく過程をたどった。

それにしても、そうやって実りのない1年をただ過ごしたのなら、こんな絶望的な話はない。するべきこと、やりたいことがわかっていながらその方向へ進めないとは。そのまま1年年を取っただけなのか!

 

ところで、沖縄関連では、些細なことかもしれないが、おっと思うこともあった。

12月に、東京都内の通勤圏内に、沖縄料理の食堂がオープンを果たした。できるだけ早く行こうと思い、16日の夜、仕事帰りに訪れたと記憶している。その時のツイートは、このように書いた。

 

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2021年2月1日撮影。沖縄料理の読谷食堂に寄った。

 

【12月16日午後7時19分のツイート】

今日、仕事帰りに。きれいな店で沖縄そば。店内に、良い曲が流れていたので、詞と曲とボーカルから、見当をつけて自力で調べたら、HYの「Last Night」だった。#読谷食堂

 

そして、年が明けて、今日はもう、2月1日。あの駅伝からちょうど1年の夕方。同じ店を再訪。

今度は、ゴーヤチャンプルー定食。

BGMは、今回は民謡。民謡は沖縄好きにもかかわらず詳しくない。全然駄目だな。しかし、先日亡くなった大城美佐子さんが歌っているのかなと想像した。曲はわからなかった。

 

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2021年2月1日撮影。また食べに来よう。

 

ともかく、今は、こういった飲食店は明日をも知れない危機的な状況にある。このようなひとときの穏やかな食事の文化を追い込んではならない。この時は、店内に、私含めて4人お客さんがいた。少しでも時間あれば来たい気持ちはある。頑張ってもらいたい。

私は、国民に等しく給付金の支援を行えばそれがいちばん良い経済効果をもたらすのではと思っている。飲食店をことさら支援するというのは、実際にも格差をもたらし、飲食店以外の一般社会人は恩恵を受けないがゆえに客足としては遠のかざるを得なくなるので、結局、誰も助からないと考える。

大事なのは、助け合いの精神なのですが。

そうだと意識する覚悟が誰にもない。

 

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2020年2月1日、首里城跡。

 

首里城の復元は、僕らが寄付したお金を役立てて進んでくれるだろうか、ということも想う。

1年前のこの時間は、国際通りに近い場所に泊まったysheartでした。あれから当然ながら、沖縄には行けていない・・・。