時間を久しぶりに無理めに割いて、田中泯さんを映す映画『名付けようのない踊り』を観に行ったのが、3月3日の夜でした。それから10日後の13日、日曜日の朝に、また別の映画館で観たのですが、この二日の間にあった3月10日は、2回目に見た際に、田中さんの誕生日であることがわかりました。
名付けようのない踊り
鑑賞した日:3月3日(ヒューマントラストシネマ有楽町)、13日(アップリンク吉祥寺)
【出演】
石原淋/中村達也 大友良英 ライコー・フェリックス/松岡正剛
【脚本・監督】
【音楽】
【画】
【上映時間】114分
ドキュメンタリー映画、と言い切ると何か違う気がするし、実際、そのような書かれ方は、パンフレットの中にもありません。しかし、ともかく、本作には田中さんという人が克明に表されています。
僕は、社会人をいったん辞めた後の大学で、表現や芸術を学びたいと思って、コンテンポラリーダンスを半年体験することになります。(それとは別に、2005年の秋、吉祥寺シアターで参加したワークショップも重要です)
あれからダンスの舞台をたびたび観ていたものの、現在の言語にかかわる仕事で国内外で働いているうちに、観る機会が減って、自分から表現するということから遠ざかってしまっていました。
そのような後悔するべき時期にも、田中泯を観たい、という気持ちは心の隅に残っていました。今回この映画があることを知り、映画館でとうとう、ダンスの頃の私の魂がよみがえった気がしました。(僕は、ある時期の自分自身に還りたいのだと思います。それを3月10日未明に感じました)
さて、この映画には、田中さんの魅力がすべて込められていて、その示唆的な言葉、動作、生活の場といった様々な要素について考えて頭のなかで問いの答えを探し、それから自分自身のありかたについて、映画館を出た後もずっと静かに考え続ける材料であってくれています。
パンフレットには、映画の脚本が完全に掲載されていて、それを読み返せば返すほど、ここで感想としてどこからどこまで起こせばよいのかわからなくなります。いま、わからなくなっています(笑)
そして、感動したひとつひとつの言葉を再現していたら、すべてが軽くなってしまいそうなので、ここでは、そのうちのごく一部を記すのにとどめておきます。
僕自身もまた、この映画をさらにリピーターとして観に行って、自分自身確認したいし。
自分が17年前にダンスをしていた時から持っていなかったか忘れていたものを埋め合わせるような貴重な表現が、この映画から得られました。
先ず、”速度”。
”違う速度が同時にある”、”踊り手は、あらゆる速度を選択できる”ということ。愛媛県松山市での場踊りのシーンを中心に語られる言葉です。
次に、”記憶の群”。
”一体何本の糸をたらしたら良いのか”と泯さんは語ります。
これとは全然違うかもしれませんが、僕は、かつての自分の体験の記憶と、今やってみる体験とを結びつけて、今やることに意味をもたせようとしたがる人です。そういう自分の発想に最近では、見直しが必要だと思うことがあります。
なぜなら、それだと、どうしても、自分が目を向けないまま、同じ時間での別のできごとが置き去りにされてしまうからです。かつて同じ時間に存在しながら、自分が見落としたり、体験できなかったりしたことがある。そういう存在だって、自分がもっと注意を向けていたなら、自分を成長させる体験になり得たかもしれない、そんな気がするわけです。
そして次に、(1)表現するということ、(2)自分と他の表現者との間の差異について僕が、共感したというか、いいなあと思えたところ。
(1)音楽でも言えるのですが、表現とは何かと問われてよく返ってくるのが”自分自身を出すということ”というのがあります。ダンスで、”「私」を表現するということがピンと来”ず、土方巽氏の言葉にホッとしたというくだりがとても大切なヒントだと感じます。
”踊りを評価する言葉が通用しない”と泯さんは語ります。僕は、どうしても、何か舞台を観た後で、何かしら的確な表現でその作品を評価しようとしていた時期がありますが、あの頃は自分は今から見ると酷いと思っています(笑)
今でも、時折そういう悪癖のようなものが自分の中から顔をのぞかせるのが自己嫌悪を生むのです。言葉に頼るあまり、評論家のようになっていく。そうなりたくないと思っていたはずなのに、なりかけていた。
今回、映画の中での泯さんの踊りを少し見ただけでも、ああ、これは何とも言葉で言い表せない、言い表しても的確な表現を選べないだろう、と自分が予想できてしまいます。
(2)1978年の頃の写真が出るシーンで、”他の「日本のアーティストみんな」仲間なんて全く思えなくて”というところ、気に入っています。
私も仲間をつくらない性格なので(そのことに苦しんだ時期もありますが、今はそういう自分がいちばんまともだと思っています)。
それから、石原さんが泯さんからアドバイス受けてる内容が結構、印象的。
”急ぐと、幻想を持つ時間がカットされる”。
僕の体験したダンスなど、勿論、石原さんの表現には全然及びませんが、それでも、急いでしまう、というのは自分自身の表現を思い出すと、わかる気がするんです。僕の場合は、何かを見せようとか、表現しようとか余計な恣意的なものが入ってしまうのだろうとすごく当時のことが反省させられるところで、今回の映画で、そうなんだなあと学んだ気持にもなりました。
そして、自分の中のハイライトは、ポワチエ・アキテーヌでの路上での踊り、サン・ルイ礼拝堂でのミーティングのシーン、そして、「皆殺しの青空」の歌。
そうだな。人間社会の最初期には、踊りの先生はいなかったはずで(笑)、ひとりの人間が踊り始めたら、その人は、場を感じてそれを体で表すでしょうし、まわりの他の人たちとのあいだに呼吸というか、気のようなもの、踊りが生まれたのかなと想像します。
「皆殺しの青空」作者は、あの!ゲルニカの上野耕路さん。泯さんと大野由美子さんの歌。泯さんの声がゆったりとして落ち着く。澄んだ涼しい空気のような歌でした。
このほか、いちいち書いていたらきりがないので、ここではいったん止めます(笑)
いろいろ、ともかく、刺激を受け、もう一度、開眼させられた想いです。ysheartの再生が加速していくのか・・・!
最後に、田中泯さんを知ったきっかけですが、
以前書いていたがむしゃらなブログ《ys-hearty-blog》にも記事があったのですが、映画『地下鉄(メトロ)に乗って』(2006年)の野平先生の役で出演されたのを当時観ました。それが自覚的なものとしては最初になります。
出演は、堤真一、岡本綾、大沢たかお、常盤貴子、中島ひろ子、ほか(敬称略)。
篠原哲雄監督、音楽・小林武史、主題歌:Salyu「プラットホーム」。
野平先生は、地下鉄駅のプラットホームにたたずむ謎めいた雰囲気と、独特の声と目線に魅かれるものがありました。何者だこの人は!?って思いました(笑)
次に観た映画は『ヘブンズ・ドア』(2009年)だと思います。福田麻由子さん、長瀬智也さんが主演されました。目当ては、福田さんでしたが(笑)
さらに、日本が誇るハードロック/ヘヴィ・メタルバンド、人間椅子のMV「命売ります」で本格的に踊りを披露されています。これは見ごたえ素晴らしいです。
またいずれ、生の舞台でも観たいと思っています。いつまでもお元気で。
今回はこれにて。では、また!
追記
今回、ゼッタイ見ようという想いを促してくれたのは、今、応援しているアイドルGのBetyの関口さんとダンスの話をしたことの影響がかなりあります。私ysheartの再生に本当に大きく貢献してくれて感謝の気持ちです。
この記事は、3月16日付で公開する予定でしたが、16日23時台に、久しぶりに長くて大きな揺れの地震があったため、記事の公開も翌日に持ち越しました。