ysheartの長い旅

観戦、観劇、鑑賞をきっかけに感傷に浸る旅の記録です。

#05 沖縄への想い・さよならりりー

3月19日、この三連休に入る前日に、寄付をする際に購入したTシャツが届いた。”OBP 沖縄縦断 24時間駅伝”とプリントされている。

f:id:ystanza:20200321214301j:plain

届いたOBPのTシャツ

本来なら、これを着て、きょう21日は、ライヴに行く予定だった。沖縄のアイドルグループ、OBPが、新宿ReNYにて、ワンマンライヴをするはずだったのだが、新型コロナウイルスの感染拡大にともなう諸々の影響により、ライヴは延期となったのである。

その代わり、今日は、YouTubeで昨年行われた初のワンマンライヴが配信された。これは、昨年5月に渋谷WWWにて開催されたライヴのことで、私ysheartが以前ブログにレポートしたはずなので、そちらを探されたし。

続けて、夕方17時40分からは、メンバーの一人で24時間駅伝にも参加した、りりーがOBPを卒業するということで、那覇のDkokusai+(OBPの所属事務所兼イベント会場)からOBPの無観客ライヴが生配信された。

f:id:ystanza:20200321214438j:plain

国際通りにある、Dkokusai+

「遠距離」「AENAI message」「バイバイ」の3曲の後、写真で2015年、りりーが小学5年生だった頃から振り返り、それから、りりーからメンバー一人一人への言葉。りりーが、なめらかではないけど自分で考えた言葉で話しているうちに、私が、昨年5月にチェキを撮ってもらった時も含めて、これまでのイメージとは違った、りりーの内面が見えてくるようであった。やっぱり人は、話さなければ(話すのを目の当たりにしなければ)理解できない、という感じがする。

「君のそばに」「Song Yell」「Dar-win!!」を歌ってから、りりーが、メンバーやファンからのメッセージを受け取って19時15分ごろ終了。りりーは”OBPをよろしく”という話こそすれど、自身がどうするのかは話さなかった。その辺があっさりしているのは、この人らしいかもしれないな。

ただ、りりーの言葉の中で、”東京って大変ですよね”っていうしみじみした言葉が出たように、沖縄の人にとって、相変わらず、東京は果てしなく、超えるべき壁のような場所なのかなと思った。自分が、今世紀の初めごろに、沖縄からたくさん来た期間従業員の人たちも、やはり同じような緊張や心の壁のようなものを持っている、そういう雰囲気があった。沖縄の他のアーティストたちを見ても共通した雰囲気がある。OBPのリーダーの裕子さんは、東京OBPと沖縄OBPがあるわけじゃない、全部でOBPだ、と言っていたけれど、自分もそれがOBPだけでなく、スタッフやファンの間にも通ずる感覚であってほしいと願っている。同じ国で空間的距離が離れているだけだということに違和感を覚えるのは良いことではないと思っている。しかし、何が隔てているのか、まだ釈然としない。

f:id:ystanza:20200321214542j:plain

OBPの動画配信スタート前

ところで、このブログは、本来なら、2月1日に、沖縄の話で始めても良かったのである。

以前のブログの続編として、2月26日に第1回を公開したが、冒頭に載せた画像は、那覇首里城公園から見た市街地の景色である。それには、私のそういった想いがあったのであり、内容につながりがないのに、ただ載せたわけではなかった。

昨年、首里城の復元された正殿が全焼してしまったときには、自分が愛着を持っていた建物がなくなってしまったことに大きなショックを受けた。本当に自分の中のいくつもの時間と出来事をつなぐ要所としての首里城の焼失は、自分の人生のいくらかのつながりを消してしまうほどの重大事であった。

1月31日から2月1日夕方にかけて、OBPは、「首里城再建プロジェクト 沖縄縦断24時間駅伝」と銘打って、メンバーたちが沖縄本島を走り、バトンをつないだ。その行動を通して、首里城再建のための募金を募るという趣旨であり、私も賛同した。19日に届いたTシャツはその証である。

2月1日、ラストランナーの宜野座麻鈴がDkokusai+にゴールして、メンバーが「Progress」などを歌って、駅伝プロジェクトは幕を閉じた。麻鈴さん、裕子さん、ココナさんらと話ができた。東京から那覇に来るのは久しぶりで、三人を驚かせたことで僕の目的は達した(笑)それは冗談として、沖縄に新しい想いを込める貴重な旅行となったのだった。

f:id:ystanza:20200321214656j:plain

国際通りの夕暮れ時

1日お昼過ぎには、青空のもと、首里城公園にも訪れた。歓会門をくぐり、焼失した正殿から距離を隔てたところを通って時折、撮影もしたが、そこから見る限りでは、思ったよりも、首里城跡の外形は保たれていたように感じて、安堵した。

f:id:ystanza:20200321214841j:plain

かつては正殿が見えた。

僕が初めて首里城公園に来たのは、1994年のことで当時は、復元した正殿(今回焼失した正殿)は、まだなかった時代だったので、その時代=自分にとっての沖縄、にまで戻っただけだとも思える。

f:id:ystanza:20200321215229j:plain

守礼門

守礼門をくぐってもう一度振り返ると、大きな喪失感は穏やかに海のように消えていくようであった。

f:id:ystanza:20200321215311j:plain

久茂地の交差点に近い、那覇市役所。

沖縄から東京に戻ってしばらくして、OBPは、那覇市役所を訪れたようすを動画にアップ。私たちの募金は、無事に届けられた。那覇市には私たちの沖縄への想いを生かし続けてもらいたい。

 

※いったんこれにて。今後、加筆する可能性がありますが。

#04 NON KAIWA FESは行けなかったけど

本来なら、この時間には、六本木で、のんのライヴを観ていたはずだったのですが、新型コロナウイルスの世間への感染拡大の影響で、観客を動員してのライヴは中止となり、私は家でじっとしています。あ、そうだ、トイレットペーパーもないもんで(笑)、余計な動きをしないように努めております。今日はなるべく早く寝たいと思います(笑)

 

今月は、のん(能年玲奈さん関連で、映画を2本観ました。
まず、今年に入っても、時間の都合でなかなか観れずにいた、アニメ作品『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』です。
これの元となる映画『この世界の片隅に』(以下、”前作”については、旧ブログで書いたはずですが、私も結構、ぼーっとしちょりますけん、十分書いていないかもしれませんが(←すみません)、前作は、のんさんの、言ってみれば芸能的な表現活動の再生復興の重要なメルクマールとなったものだけに、本作(”さらにいくつもの”)の公開を、私も、応援チームのひとりとして楽しみにしておりました。

 

f:id:ystanza:20200208085529j:plain

上映する映画館が全国的に切り替わる時期だっただけに観ることができて安心。

 

今月、ようやく観に行って、本作は、前作で描かれなかった原作の場面が追加されている作品だということがわかりました。それらは、250カット、30分以上にわたるものですが、なかでも、私にとって印象的だったのは、すずとリンの長い対話のシーンです。全体のテンポに比して、二葉館の前で再会するシーンは、多くのことを示唆しているように、時間の流れがゆっくりとする感じがします。のちに、桜の木に二人で登るシーンも、前作に新しい息吹を吹き込んだように思えると同時に、リンの存在とは何なのか、ただリンが、すずとは幸せの尺度も女性観も違う、というだけではおさまらない何かを提起される想いがします。

 

 

さて、時間は過ぎて、2月も後半、連休のうちに、東北へ行きました。

昨年、私ysheart自らも映画撮影に参加させていただいた(ボランティアエキストラですが)映画の先行上映が、八戸、盛岡、名取(仙台の隣)などで行われ、私は、名取のイオンシネマに観に行きました。

 

f:id:ystanza:20200223120207j:plain

先行上映。私の出演シーンがあるかどうかが実は最大の関心事!?

 

星屑の町』という作品です。私は、エキストラとしての撮影時のロケ現場の様子と本作品での場面の様子を対照させながら、ああ、ここはこうだったのかと、その印象の変化を楽しいと思いました。僕は、今回のエキストラ出演については、映画の中に自分を見つけることができてうれしかったです(笑)これまでも何本か出演しましたが、公開されて実際には映った場面がカットされていたりしますが、今回はよかったです。もっとも、エンドロールには、エキストラのクレジットはされず、それが少し寂しかったですが。

 

『この世界の・・・』から、のんさんを見ていると、この映画でも、のんさんが、自分の想いをうったえに楽屋に乗り込んでいくときの声など、すっかり、なじんで、怒っているシーンでもどこかほのぼのしてコミカルで、心を朗らかにしてくれますね。

 

のんさんは、余分な表情や台詞の言い回しをしないで、淡白なようで、そうではなく、必要なことを鮮やかに伝えてしまう演技だなと思います。自転車をこぐ最初のシーンから、それだけで伝わってくるものがあり、他方、それ以上に何かを読もうとしなくていいんだと納得してしまいます。

のんさん以外のキャストの皆さんも、それぞれ人物の個性予想以上にタイトに演じていらっしゃったと感じます。

 

上映後の舞台あいさつで、のんさんは、東北は、ロック歌手としても、それ以外でもこれまで何度か来ているという趣旨の話をして、その中で、東北方言の訓練についても話してくれました。出演した菅原さんが録音したものを聞かせてくれて、それを用いて練習したようです。でも、司会進行のアナウンサーさんもおっしゃったように、本当に東北の人のように話していて、本当に自然に感情が移入できます。

 

退場の時、ふりかえってこちらに手を振ってくれました。

来月(3月)の無観客ライヴの放送は、時間や設定環境など合えば、ぜひ見たいと思っています。

 

※ここでいったん本記事は公開しますが、今後、加筆・補正の可能性があります。