ysheartの長い旅

観戦、観劇、鑑賞をきっかけに感傷に浸る旅の記録です。

#159 見よ、飛行機の高く飛べるを

少し考えていたので、遅ればせながらですが、先月最後の観劇のレポートです。調べてみると、私が『見よ、飛行機の高く飛べるを』を観るのは、およそ6年ぶり!いろいろな感情や記憶の断片を整理するべき機会でした。

 

ことのはbox第21回公演、東京芸術劇場シアターウエスト。

 

ことのはbox 第21回公演

見よ、飛行機の高く飛べるを

2024年3月28日(木)~3月31日(日)全6公演

東京芸術劇場 シアターウエス

※私が観た回:30日13時の回・31日13時の回(千穐楽)計2公演

 

作: 永井愛(二兎社)

演出: 酒井菜月(ことのはbox)

 

【出演】※カッコ内が役名

清水麻璃亜(光島延ぶ)、石森咲妃(杉坂初江)

久下恭平(新庄洋一郎)、篠田美沙子(安達貞子)

夏八木映美子(大槻マツ)、春木愛真(山森ちか)、上之薗理奈(木暮婦美)

岩田あや乃(梅津仰子)、野呂桃花(石塚セキ)、凪子(北川操)

華岡なほみ(菅沼くら)、青山雅士(中村英助)、親泊義朗(青田作治)

加藤大騎(難波大造)

荒井ぶん(板谷わと)、佐藤ケンタ(板谷順吉)

 

”少女達の青春群像劇”

 

STORY

1911(明治44)年10月、名古屋の第二女子師範学校では、教師を目指す少女たちが日々勉強に励んでいた。開校以来の優等生・光島延ぶは、ある日、良妻賢母教育に反抗する変わり者、杉坂初江と出会う。平塚らいてう与謝野晶子ら、「新しい女」に憧れる初江は、女性のための雑誌を作りたいと延ぶに打ち明ける。お調子者のちか、恋に恋する婦美、しっかり者のマツたちも巻き込み、回覧雑誌「バード・ウィメン」の編集作業が始まった。しかしその夜、「事件」が起きて……。(パンフレットから)

 

東京芸術劇場、3月30日の昼過ぎの空。

 

30日は当日券で入りました。いわゆる”見切り席”ということでしたが、ステージに向かって左側(舞台しもて)にある、部屋の窓の向こうが見えないくらいで、ほとんど支障なく観劇に集中できました。

(このことは、千穐楽にもう一度、別の席から観劇することでより明らかになりました)

 

この30日朝に、自宅で、他の劇団(劇団うりんこ)の『見よ、…』の過去動画を観て予習(6年前を思い出すという意味では復習・記憶の回復)をしてきたので、『見よ、…』との再会はとても充実したものになった気がします。

休憩室の6年前(ことのはbox第6回公演・池袋シアターグリーン)のセットと、過去動画のセットは似ていましたが、今回の公演のセットは、それらとは異なり、西洋風なおしゃれな感じで扉が客席側に向いているのが特徴で、新しい発想を感じ、なかなか良かったです。

 

セリフは、6年前の公演よりは過去動画の公演に近い傾向で、名古屋・三河あたりの方言をかなり上手に美しく再現されている感じがします。

この作品は、冒頭、菅沼先生(教頭?)の詩吟、そこにノックしようとする新庄先生のシーンで始まるのですが、菅沼先生の名古屋方言のリズムが前半をけん引していく要のように受け止めています。6年前は、木村望子さんが演じておられ、今回の華岡なほみさんの演技も同様のイメージで、この両者のイメージは近似していますが、過去動画の演技とは印象が異なります。私には、ことのはラインの菅沼先生(6年前の木村さんや今回の華岡さん)がしっくりきます。

 

シアターウェストは、こちらから見て右。3月30日。

 

さて、少女達についてですが、光島・杉坂の2人だけでなく、大槻・山森・木暮の上級生組も、梅津・石塚・北川の下級生組も、それぞれの性格・人間性がしっかり伝わってきて、全体がごく自然に相互作用していて、ストーリーに引き込まれ、自分も『バード・ウィメン』の完成を望む想いで観ていられました。

 

(下級生組で、凪子さん演じる北川が、梅津・石塚に「良かったわね」と皮肉を言われて、笑顔でたじろぐところ好きです 笑)

 

そして、外の世界へのあこがれ、恋に恋する未完成な年ごろの心模様、とりわけ上之薗さん演じる木暮は、それがあからさまで、私たちに伏線を明示してくれます。そして、木暮が、屈折した現実を体現する〈男〉(飾り職人の順吉)を目の前にして無力なまま脱落するのをきっかけに、無垢な少女たちのつながりに綻びが生まれ、女子の理想を体現していたはずの光島が杉坂とは切れなかったはずの連帯も、やはり〈男〉の介在によって(新庄先生の求婚という現実を通して)あえなく破れていく。

杉坂は到底届くことのないくらい、途方もない高さの空(理想)にしがみつきたくて、飛行機の音を聞き取ろう、機体を視界にとらえよう、一気に飛び立とうと抵抗するけれど、現実との距離を縮めて歩み始めた光島には、飛行機の音は、もはや聞こえない。

あれほどもりあがったはずの『バード・ウィメン』は幻となる・・・。あれは、何だったのだろう・・・。観ていたこちらも残念を通り越して空っぽになる気分。

 

(光島が加藤さん演ずる校長に説得されるシーンの、校長のセリフは印象的だったな。自分も優等生だった時期が僅かにあるので、いい想いや受賞の体験をしていた時の自分をふりかえると、もっと大事に生きていたら自分ももう少しましな人生を送れたかなと少し思いますので 笑!)

 

杉坂はどこへ向かうのか、光島は杉坂の答えを聞き届けたのか、それは観る側の想像に託したまま、物語は幕を閉じました。この答えを明らかにできないやるせなさ、少女の時代の儚さの表現が優れていると感じています。

 

この作品は、今回途中15分休憩で、前半と後半とに分かれていました(後半が90分程度だから、終演は15時50分予定で、全体が約3時間)。前半は、木暮に順吉が接吻をして脱出するところまでで目まぐるしく展開するのに対して、後半は、そこから、『バード・ウィメン』の挫折まで重く長くつらい時間が流れていきます。

千穐楽の31日は、そういうわけで、後半もさまざまな想いが頭に渦巻く状態でしっかり見届けようとしている私でした。

 

授業を”ストライキ”とはいうけれど、少女たちは自立して労働の対価を得る者たちではない以上、その言葉通りの社会的な運動すら、そこには存在していないのですよね。

なんでもわかっているつもりだった木暮にも、最高の模範に見えた光島にさえも、理想と現実との距離はあまりに高すぎたのでしょう。

 

ただし、そういうむなしさ、儚さは、彼女たちが完全な子どもであったり、未熟なだけなら、回顧でしかないのだけど、大人への境界線上にいよいよやって来たということを象徴しているできごとなのでしょう。

木暮は、女学校を去るにあたって、仲間の女生徒たちを守り切り、光島は、なお杉坂を思いやるのです。この作品は〈男〉が変化・挫折の発端にはなれど、つよく生きる少女たちの間にあるきずなを見守っているようです。

そういったひとつひとつが、何にも確かな形を見せないことで逆に、無限の可能性を未来の少女たちに託しているのかもしれません。人生はどうとでもなる。

 

上之薗さんの日替わりのブロマイド。右が30日、左が千穐楽

 

この作品では、自然主義の文学として田山花袋の『布団』を読み上げられた後で、山森が”金色夜叉と対照的だ”と言うくだりがあったり、安達先生が平塚らいてう与謝野晶子らの『青鞜』を授業に使ったり、イプセンの『人形の家』を菅沼先生が否定的に評したりと、当時の女性のあり方と文学の動向が描かれて、眠っていた知的関心を呼び覚ましてくれました。

また、たしか杉坂のモデルと言われる、市川房枝さんの、女性の権利の問題に取り組んだ生涯にふたたび注目させてくれる、よき機会を提供してくれているとも思いました。

 

もっとも、これは人権思想にうったえたり、現在の世相につながる何かを示唆されたりするものでもないと僕は思っているんです。そう思ってもかまわないんだけれども、やはり、本作品は、以上に述べた意味でも、どんな時代にも選ばれる、少女たちの成長譚といえるように思います。

 

蛇足ですが、イプセンといえば、没後100年記念ということで2006年に早稲田大学で聴いた講演「日本におけるイプセンの受容-黎明期を中心に」(河竹登志夫早大名誉教授)が面白かった記憶があります。主人公ノラの後日談が当時世に出たことなど意外と今からみても新しい時代の息吹があったことを少し知りました。

 

ことのはbox公演、キャスト・スタッフの皆様方、あらためまして全公演終了おつかれさまでした。

 

今回目当ての上之薗理奈さんは、観ていてセリフを聞くうちに、”ああーー接吻される木暮だ;順吉ゆるさじ”と下世話なこと少し思ってしまって申し訳ないですが(笑)、いい作品で好演され、観ることができてうれしうございました。お祝い札、なるものも、私ことのはboxの公演で初めてチャレンジして、サインを頂き、そのお札は、今週前半に無事に自宅に届きました。ありがとうございます。

 

以上、今回のレポート、東京芸術劇場も久しぶりでした。両日とも晴れて良かったです。

 

東京芸術劇場!3月31日の晴れた空高く。

 

 

さて、私の前回観た『見よ、…』について、以下、追記しておきます。

旧ブログでレポートして、当時、菅沼先生を演じられた、前出・木村様に感想コメントを頂いたものです。

 

 

2018年2月16日(金)19時の回

池袋シアターグリーン

ことのはbox第6回公演

2月14日~18日

 

当時は、光島が春名風花さん、杉坂が廣瀬響乃さん。

菅沼先生は、木村望子さん。

 

旧ブログより、拙文からポイントを抜粋。

【先ず、私の地元(厳密に言えば私は三河であって尾張でにゃーのですが)の方言、名古屋方言と三河方言が混ざるように言葉が行き交うのが心地よかったです。聞けば絶対、自分の故郷だとわかるので、方言というのは人の生き方にとって重いものなのだなあと感じます。菅沼先生を演じる木村望子さんの自由に訛りを操るセリフが特に素晴らしく、序盤から芝居に集中できました。/

本当に厳格な女子の教育と、いま自分が勤めている仕事環境(教育系)とがイメージが重なって尚更、世界に入ることができました。/

そういった大人の押し付けに立ち向かおうと、はるかぜさん演じる光島、廣瀬さん演じる杉坂が回覧雑誌の編集を試みるわけですが。それは必ずしも大人の圧力や反撃で空しく潰えるだけではなく、揺れる年頃の異性への思慕があまりにもあっさりと(ことのはの酒井さんの言葉で言えば”儚く”)、その燃え上がろうとする炎を消してしまうのです。/

光島は、力をたくわえてゆっくりと戦っていこう(言葉は違うけれどそのようなこと)と杉坂を諭して幕は降ります。/

いちばん知識を蓄え知恵を磨ける時期に自分にとっての道を開こうと抵抗したことこそが、誰にも何にも代えられない価値として、人生の中でまばゆい光を放ち続ける、自分をその後も支え引っ張っていく思い出として生き続けるのだと、そんなことを確かめられる作品です。/

ただし、その結論が一時的に、保守的な大人を喜ばせたとしても、あの儚い輝きを忘れない人であれば、心の奥底で屈することはないはずです。私もいまだに、大人たちに抵抗していきたい気持ちがあるので、ここはきっちりとさせておきたいところです。普通であっても凡庸ではいけない。】

 

当時と書いている内容に180度違ったトコはないですよ(笑)

私でさえ、抵抗の精神は、今なお持っているのは、6年経っても変わることはありません。

変わったことといえば、作品との距離の取り方に、今回は少し悩んだことかなあ。

前回は作品自体の感想が中心のようですが、今回は、演じ方にふれたはず・・・。否、あまり変わらないか?

当時は、はるかぜちゃん目当てで行って、終演後の面会もして話したんですが、はるかぜちゃんパワーあったなあ(笑 今もあるけど)さっき書いたことですが、当時の女性も今と変わらず現代と同じくらい新しかったということを知識の面でも春名さんから補完できた面会でしたよ(笑 しっかりしろysheart、という感じ)。

 

それからしばらくして、旧ブログの進め方にも限界を感じていたころ、思いもかけず、木村さんから丁寧なコメントをいただき、本当にうれしくリプを差し上げた次第です。

そのあと、一度、別の公演後に、木村さんと面会がかないましたが、以後は観劇は果たしているものの、コロナの影響で面会は実現していません。

しかし、木村さんとのご縁のおかげで、昨年の公演で、上之薗理奈さんの存在を知り、当時のアイドル活動やワークショップイベントを通して、ファンの一人として現在に至っております。前回2018年の『見よ、飛行機の高く飛べるを』がなければ、現在もなかったと思えば、実に感慨深くて、人生のあらゆる縁の不思議さや奇跡的なことを想い感じ入る次第でございます。

(上之薗さんから、LilyWingsつながりで、GenesisGirlの橘アンジさんを知ったことも前々回の記事第157話で書いた通り)

 

世の中、大変でそれのあおりで生活も日に日に苦しくなっていきますが、演劇を観たりライブを観たりする機会にも感謝して、どうにか乗り越えていかなければ、と思う、新年度の始まりのYSハートでした。

 

では、また。春の向かい風にも負けず、新学期・新年度がんばりましょう。

 

長い旅2024 つづく