ysheartの長い旅

観戦、観劇、鑑賞をきっかけに感傷に浸る旅の記録です。

#09 東京都知事選・新宿に朝が来るように

7月4日、期日前投票に行ってきました。明日が投票日だから、あと24時間ぐらい待てばよいではないか、と思うかもしれません。実は、僕自身、《期日前投票》を利用したのは、選挙権が付与された平成の初め以来の半生で、これがたったの2度目なのです。

普段の選挙であれば、ぎりぎりまでじっくりと考えて、日曜日にのんびりと、近所の投票所に向かう、という流れがあります。その流れにちょっと気疲れしていたというのがひとつの理由。もうひとつは、コロナ情勢下で、最初にめぐってきた、政治家選びの機会に、このフラストレーションと正義の想いを昇華させるタイミングとして、投票日前日、選挙活動のハイライトあるいは総決算というべき最終日にすべてを終わらせたいと思ったことが、理由です。

連日、インターネットを中心とした世間からの情報で、名前の挙がっている有力候補は、現職を含めて数人。このうち、街頭でスタッフがマスクをせずに声をあげていた候補は消し、候補自身がマスクせずに動き回るのを見て消し、・・・現職と若干名が、私的な投票対象に絞られてきたところで、現職が、マイナス材料を提供してくれてしまったので、だれに投票するか、ほぼ決まってしまい、期日前投票!となった次第です。

自分の過去の経験や単純な好き嫌い、ゆずれない要素で、今回はこの人にしてみよう、という判断は、容易に下せるものです。

それとは別に、忙しさにかまけて、ここまで全然、街頭演説をライヴで見てこなかったので、選挙活動最終日の今日は、ライヴで見に行こうと思い、出かけました。

 

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土曜日の夕方。かつてのにぎやかさを取り戻して(しまって)いる新宿駅南口。

 

その候補者は、夕方、新宿駅南口で最後の演説を始めました。

コロナ情勢下、3密を避けよう、聴衆にディスタンスをとってもらおうという、候補者なりの配慮は感じられました。横にいた手話通訳担当者はフェイスシールドをしており、途中でステージ袖に現れたゲストも、マスクをしていました。ゲストの参院議員お二人も同様です。

この候補の話には、信条となる軸のようなものが明確に感じられた点で、よい演説だったと評価できます。

”何かに役に立つことがなければ生きている価値はない”と思わせるのが今の社会の問題なのだ、と説きます。

通常、この論理で話す場合、”いいや、誰でも、絶対、誰かの役に立っているんだよ”と諭す展開になるのを予想しますが、この候補は、そうではなく。

”役に立つ”という考えそのものを必要ないとする。”生きているだけで価値がある”、そういう論法をとるわけです。本当に、いさぎよいです。

その例として、2016年に起きた、相模原の施設での殺傷事件を挙げます。あの犯人は、役に立たない人たちを殺傷して、自分が役に立った、という論理に持って行ったのだ、という趣旨の話でした。ああ、あの事件の犯人の論理をそのような視点で解するのか、と納得できる気がしました。

また、会社で、ハラスメントマウンティングが起きるのも、同様な論拠で伝えようとします。正直なところ、感心しましたよ。

候補は、昨年夏の参院選で、所属政党から2名の重度障がい者の方を議員に当選させたものの、自身は落選してしまった(するとは思わなかった)と。政治を変えることをうったえるには、(目の前に東京都知事がある以上)権力をもって底上げすべく、国会議員の総選挙(待っていられない)より先に来た都知事選に当選して知事になるしかない(候補は、国会議員になったら総理になりたいとも明言されていた)、と。

僕は、本当に国民、一般市民のために仕事をしたいという人なら、このくらいのことを勢いをもって言える人でないといけないと思っておりますから、このような演説は心の奥にすとんと収まったのです。

ことわっておきますが、僕は、他人の演説や上手な言葉に取り込まれる人間ではありません。このysheartは、そうそう簡単に他人の術策に陥ることはないのですが、それでも、いいものを聞けたという充足感は得られました。

この候補が、かりに、当選したとしても、公約通り、財源を確保し、学校を無償にして、住宅を保障できればいいですが、実現できなければ、次の選挙までに都民の力で外せばよく、国会議員への道を国民の力で塞げばよいことです。しかし、期待できる候補ではあると思いました。20時ちょうどに演説は終了。意味のある時間が過ぎました。

他の候補の演説で、納得した、よかったという人は、その候補を信頼して投票に行けばよいと思います。その時の充足感と信頼の精神で行くことです。

 

普段、投票に行かない人、投票に、まだ行ったことがない若い人、今回は、選挙に行こう。暇つぶしでもよい、虚無的(ニヒル)でもよいから(笑)、自分の信念や価値観を究極まですりあわせることを試みて、自分がいちばん信頼できると判断した候補に1票入れて、投票日の雰囲気を体験してきては。

#08 雨の音・ショパン・ポーランド

梅雨の真ん中にいます。雨降る中、練馬区立美術館へ行ってきました。

外出自粛のムードが薄れていく中―新型コロナウイルス対策の行動の基準があいまいになってきたのは問題ですが―、今月中旬には、国立西洋美術館(東京・上野)が再開したので、少し見てきました。まずは、美術館からです。

他の美術館もいろいろな制約はあれど、ともかく、再開する流れのようで、ysheartも、美術館の開館状況を検索し始めています。その結果、次の場所は、中村橋となりました。今日で企画展が最終日。昨日調べて、今日の朝、駆けつけた訳です。このあわただしさはysheartならでは、ですが、今回は、まあ、止むをえません。

 

日本・ポーランド国交樹立100周年記念

ショパン―200年の肖像

主催: 練馬区立美術館(公益財団法人練馬区文化振興協会)

共催: 国立フリデリク・ショパン研究所※

後援: 駐日ポーランド共和国大使館、日本ショパン協会

・・・

※日本語カナ表記をポーランド語の原語の発音により近い「フリデリク」を用い、ショパンの洗礼名をポーランド語の綴りに則って「Fryderyk」とすると、フライヤーにも記されており、ポーランド語をかじった自分には大変興味が魅かれるこだわりだと思った。本展への関係者の熱い意欲が伝わってくるところだ。

本来なら、4月26日から今日(6月28日)まで開催だったはずが、くだんの事情から6月2日にようやく開催、期間中のいろいろな催しが中止される中で28日を迎えたようだ。

 

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ショパン展。6月28日、最終日だった。

 

この展示は、ポーランドの代表的なピアニスト/作曲家、フリデリク・ショパン(Fryderyk Chopin / 1810-1849)を考察する内容です。

今回、音声ガイドは借りないので(経済的事情)、自分の感性が頼り。ローベルト・シュピースの連作版画集(1912年)は、ショパン前奏曲1番から24番までのイメージを版画に表した作品群。中に僕の気に入った画もありましたよ。それから、1880年代に日本にほぼ同時期に伝わった、カール・ライネッケのショパンの楽譜、1900年代(明治後期)の日本におけるショパン関連の書物、1930年代(昭和初期)の日本での音楽コンクール出場者の写真入りの資料、・・・そして、《第2楽章 ショパンを育んだ都市ワルシャワ》へ。

ベルナルド・ベロットのエッチング「オストロクスキ宮殿から王宮までのワルシャワの景観」(1774)のほか、ワルシャワの市街図(1772)、19世紀中ごろのワルシャワやワジェンキ公園などが描かれた油彩画・・・。《第3楽章 華開くパリのショパン》では、1830年以降、ポーランドからパリに来たショパンクララとロベルト・シューマン夫妻の肖像、ジョルジュ・サンドショパンの恋人)やウジェーヌ・ドラクロワの肖像(いずれも1850年前後)、アリ・シェフェールによるショパンの肖像(1847)、あとは、サンドとショパンの画がそれぞれに分断されたものや、それらを合わせたものがあったなあ。

そして、《第4楽章 真実のショパン ―楽譜、手紙―》ショパンデスマスクがあってびっくり(1849年の鋳型により1930年製作)、それから自筆譜が連なって・・・。

ラストは、《第5楽章 ショパン国際ピアノコンクール》。ポスターやメダル。日本のピアニストも健闘してきました。中村紘子内田光子、など、真剣に聴いたことがなくてもどこかで覚えている有名な人たち。

図録は、3300円。今の僕の予算では手が出ないので、今回の展示で見たいくつかの絵画でデザインされたクリアファイルと、ヴィラヌフ宮殿の油彩画のポストカードを買ったのみでしたが、ポーランドへの想いを消さないためのよい機会として、見たものを心に留めました。

 

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階段を上った正面に、金色のオブジェが見える。

 

重要なポイントは、3度にわたるポーランド分割(18世紀終盤)、そのあとのショパン誕生、ワルシャワの繁栄、ポーランド蜂起とショパンのパリへの脱出。ショパンの肖像を描く二人の筆致の違い(ドラクロワとアリ・シェフェール)があったこと等。僕はフランスにさほど憧れはないのですが(笑)、世界史の中のフランスには勿論関心があって、ショパンが逃れた当時のパリは、ルイ・フィリップの時代だったことなど、高校時代の勉強を思い出します。

それよりも、2011年から翌2012年にかけて滞在した、ポーランドの風景が思い出される柳の並ぶ風景のポスター、ワルシャワ旧市街の画などは自分を奮い起こす燃料になってくれそうです。そして、ポーランドの数奇な世界史の展開を確かめること。それも今後の自分にとって、大切な作業になるでしょう。ヴィラヌフのポストカードが、これからにつなぐ一つの助けになれば。

 

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中村橋駅前のショパンも今日まで。

 それにしても、さあ帰ろうと思ってふりかえると、僕は音楽の展示を見たのに、絵画も歴史も見ることができた展示でした。音楽を視覚的に見せる方法は、楽譜は勿論ですが(実は今回の主役ですが)、こういう文化の要素の有機的な関連によって現実になるとは、感動さえ覚えます。

 

いま、僕の手元にショパンのCDはありませんが、頭のなかで、”雨だれ”の音がしています。前奏曲15番。

 

 

追記

この記事の予備のタイトルと本文のオルターネイト・ヴァージョンを

以下、書き残しておく。

 

タイトル: 美術館のショパンポーランドの記憶

本文: 9時に出て、10時ごろ開館とほぼ同時に入った。雨だが人は多かった。練馬区立美術館でショパン展。音楽の展示なのに、文化、歴史、絵画と、いろいろな要素がある。そして、ポーランドのことも思い出したい気持ちにさせた。

#07 全力366日!

今回、アイドルの話題ですので、興味ない方はご遠慮ください。否、興味ある人が読んでも、抽象的でつまらないと思いますが、世知辛いご時世に鑑みて、不毛なやりとりを避けるためです。ご容赦ください。

 

 

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豊洲のリリースイベント会場。2月撮影。

 

2006年3月に始めたブログは、そのような自分のある側面を反映させた記録だった。自分が会いたい人に会って、会話や握手をすることが原動力になった時期が続いた。アイドルに会いに行くことは、特に平成の終盤から、その役割の一端を担うことになった。それにしても、一つのグループ或いは一人のアイドルを応援し続けることは途中様々な事情が入ってきて、なかなか続けるのは難しい。

 

直近の数年間をふりかえってみると以下のようになる。(いま、互いの監視、自粛圧力など、表現されたことが愚かなトラブルの原因となるので、具体的なことはできるだけ書かずに、それでも実態がイメージしやすい文章を心がけようとは思う)

 

2017年(平成29年)

3月、ソロアイドルAのリリースイベントを観て以来、しばしばAの応援に行く。

8月のTIFで、新たな応援対象を見つけようと2日間、台場で行動。

ここで、グループB、グループCに関心を持ち、特典会に参加。好印象につき、以後の応援を決める。なお、この2日目の朝、TIF参加でないアイドルグループDが広報活動しており、うちわ受け取る。

A応援は、夏にピーク。

B、Cの応援ほぼ順調。特に、Bは大変よい。ただし、Bはメンバーの年齢が若い、Cは、すでにアイドル本体としてのグループの活動が変容しつつあった。

12月、グループDのリリースイベントに参加、ここからCに急接近する。

 

2018年(平成30年)

Cの新プロジェクトEの定期公演を観始める。Bの印象が自分の中で変化し、いろいろなずれや違和感を覚えるようになっていく。

2月、対バンイベントで、EとDが出演。このとき、グループFのライヴを観る。

3月から4月、Dの応援が中心となり、かなり内容の充実した応援をしたが、Dは4月で活動終了。

6月、かねてからSNSで知っていたグループGのリリースイベントを観て、参加。

Aの応援は、7月のライヴをもって自分の限界を感じて終了することにした。

11月、大きなアイドルグループのイベントの帰りにビラを受け取ったグループHのライヴを早めに観に行き、特典会に参加。

 

2019年(平成31年・令和元年)

特にイベントに行くこともないまま、Bは3月に解散。

Eの定期公演、2月以降は参加せず。

5月1日、令和元年スタート。11日、Fのライヴを観て新規で特典会に参加。

この年夏まで、グループGの応援がピークを迎える。

8月、TIFで、グループHの初参加を見届ける。夏終わりに、横浜アリーナで、FとHが出場。ライヴを観る。

 

2020年(令和2年)

Fの応援の機会が最も多い状態で2019年から2020年は推移する。しかし、Hの応援も良い内容が続く。新型コロナウイルスの問題で、アイドル応援事実上中断。しかし、SNSなどを通して、完全なシャットダウンの状態は回避。なお、今年に入って停滞していたGとの交流はわずかながら回復へ向かう。

 

5月11日現在、継続的な応援の対象になっているのは、特に大きなグループなどを除けば、上記F,G,Hということになる。

 

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FPGの定期公演、秋葉原の店舗。

 

A,B,C,D,E,F,Gは、旧ブログご覧になればわかります。特に、2018年前半に一度現れ、現在、最も応援しているFというのは、Full Power Girls(全力少女)Rをさしています。

 

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FPGのリリースイベント、横浜のCD店舗。

 

今日、5月11日は、同グループを応援し始めて1周年、2年目スタートの日なのです。

今年1月終わりに、5人体制となって以降、直近の現場参加は、2月末までのリリースイベント+定期公演(秋葉原豊洲、渋谷、横浜)と4人の生誕祭。3月後半から現在まで直接には会っていないが、SNSでその様子を知ることができている。

 

覚書は以上。詳しく書いても、今は、不当で過剰な監視・自粛の圧力が高まっている中、応援には逆効果なので、ここでは書かない。残念ではあるが。

 

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タワーレコード渋谷の屋上。2月に、この会場を初めて訪れた。

 

先月末のことですが、このグループも主催公演などで出演したライヴハウスが今月いっぱいで閉店するとのニュースも流れました。何とか今月中に、営業自粛の要請から解放され、クラウドファンディングにせよ、その他の支援活動にせよ、元の場所で営業が再開されることを願っています。

以上の多くの応援の場は、そのほとんどが、ライブハウスでした。それ以前にも、アイドルだけでなく、あらゆるアーティストの音楽を自分の糧とした場所だったのです。

 

※この記事は、コロナの時期が過ぎたら、追記したいと思っています。

 

 

 

【追補】

自分の人生計画は新たなフェーズを迎えているとはいえ、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う社会の異常事態の中で、他の人々の例にもれず、自分の計画も中断したままになっている。しかし、今はむしろ、いろいろなことをじっくりと考え見直して、計画再開に備える時だと捉えるなら、中断どころではない。すでに何もかもが動いている、動かせるということだ。

 

自分がなかなか報われず、心が荒んでいた90年代半ばから00年代初期の自分を顧みて、二度とそのような時代を作らず、いつも希望をもって夢を手放さない、そのためには人の縁や人から自分へのプラスのインパクトを自分の糧にするという発想が自分には必須の要素だった。

 

それを実践して、すべては今の自分に役に立っている。助けてくれる人には感謝の想いをもって、得た力を日々の自分の行動に還元していく。そして、また、何かの形で感謝の気持ちを返したい。

#06 令和2年目の始まり

昨日は4月30日。ああ、令和になって1年が終わるのだなと、気がついて、にわかに感慨がわいてきた。

 

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東京都内の様子をライヴカメラで確かめる。例えば、夕方のレインボーブリッジ。

 

1月下旬に春節に危機的な気配を察知して、2月初旬には、マスクがどの店でもなかなか見つからないのを体験した。2月下旬から、そろそろ、外出は危ないのだと思って自粛に近い意識をもって、3月は、上旬から下旬にかけて、しだいに、自分もまた、”不要不急の外出”をする者だと見られないかと同調圧力を警戒するようになり、そして。

世間では、春分の頃あの3連休を”気のゆるみ”だと形容したがったものだ。僕は必ずしもそうは思っていない。何より、2月末の休校要請も、政府は遅い、なぜ卒業式もできないのか、という世間の声があった・・・そのころ、すでにその通り。遅かったのだ。絶対に今、失ってはならない日本の文化の宝、志村けんさんがコロナで亡くなってしまった。

4月に入る頃、首相はようやくマスクを着用する姿勢を見せ始めた。ここから、政治家たち、都知事の記者会見の記者たちも、マスクそして、人と人との距離を、実践し始めたのが、テレビや生配信で顕著にみられるようになっていった。都知事は、志村さんの死を”最大の功績”と、とりようによっては不謹慎な言葉で表していたが、”ロックダウン”など聴き慣れない横文字で先ず聴衆の気を惹こうという手法は世論の反発を招く要素があると察してくれたのか、そのような言葉遣いはしだいに修正されていった。

首相や与野党の一部議員も世論の気配が自分たちに好意的でない場面が多くなってきたことを彼らなりに危ないと察したのだろうか、情けないほどのスローなペースではあるが、いったん決めた給付の内容をわざわざ修正するなど、過ちを改めるという動きもとれる場合が出てきた。

そういった多くの変化への架け橋となったのは、首相が決めた緊急事態宣言の発令(4月8日から、5月6日までの設定)であった。各自治体は、防災無線で、3密を避けること、不要不急の外出を避けること、などを知らせるようになり、週末の人出が減り、通勤も、4月上旬から中旬にかけては、出勤から在宅勤務・テレワーク・リモートワークへの移行が世間が毎度生み出す前出の同調圧力のかいもあってか、しだいに進んでいった。

そして、医療態勢や自宅待機のありかたなど、決定的に世間が危機意識をもって目を見張ったのが、一般の自宅待機者の死、女優の岡江久美子さんが亡くなったことであったと感じる。

その存在がメディアの文化に接するうえでいつも自分の心の力だった、ふたりの方が亡くなったとの報は、僕を落胆させるのに十分であった。子供の頃から、そして大学生のころから、自分自身を前に進めてくれたものが世界から消えてしまうこと、文化の喪失とはそういうことだ。どんなに大きな失敗をしたのか、人々は特に為政者は意識をしているだろうか。前述したように、察しているからそれなりに動きが変わってきているのっだが、本当に自分たちに喪失がなければ、自分が失ったと感じなければ、本当に変わることはない。

僕自身も4月中旬以降、体調のあやしい時が間々あって、検温をかなり注意してするようになっている。37度までは行っていないし、味覚も嗅覚も問題ない。だから、実は別の症状とみていいのかもしれない。しかし、今はそれでも、もしや?と不安になってしまう。

ともあれ、5月1日、令和の2年目を迎えた。僕は、今日も終わる時間になってみると、全体としては健康と思える。外出自粛、おうち時間、在宅勤務日の増加の効果なのだろうか、バランスの良い食事を実践できるようになったし、適度な散歩・日光を浴びることを意識して以前のようなふらふらした感じが全身から消えたし、時間をゆっくり過ごすことで今まで高速度で吸収したつもりで通り過ぎたもの例えば音楽読書などを見直すことができている。家族との電話会談も以前より多く、また、愛知県の知人にも元気かとチャットのやりとりもする。経済も、店舗の休業のおかげで?以前より堅調に推移している。これまでの自分を懐かしい動画を通して整理できる気もする。

社会も同様だろう。怪我の功名で、皮肉にも”働き方を改革”、また”家族の時間や学校との関係を考える”機会になっている。それぞれの知恵や行動範囲、適性を見つめなおすことで”一億人が総活躍”する社会に変わるかもしれない。僕は今、与党を支持する気持ちはないし、もともと、自分の判断で、どんな勢力にも与する人である。しかし、ともかく、為政者も意図しなかったかたちで、世の中の価値観や構造が大きく変わる、その過渡期に僕は立っているのだと思う。

平成の後半、ブログを始めた。”どこかへ行って何かを見る”ことでレポートして想いをつづるというスタンスで来たが、今は、どこへも行かないことで何かを見出す、そのほうが自分にとって重要だと思える。以前はほんの近い場所だと思っていた場所でさえ今はめったに行けない。たとえば、写真はライヴカメラだ。インターネットで、ライヴカメラを見て今の様子を見る。人と話すときは、仕事でも然り、ZOOMという遠隔通信のアプリケーションでやりとりすればよい。

ともあれ、令和2年5月1日を迎えることができた。ちょうど1年前のことも少しずつ思い出している。

#05 沖縄への想い・さよならりりー

3月19日、この三連休に入る前日に、寄付をする際に購入したTシャツが届いた。”OBP 沖縄縦断 24時間駅伝”とプリントされている。

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届いたOBPのTシャツ

本来なら、これを着て、きょう21日は、ライヴに行く予定だった。沖縄のアイドルグループ、OBPが、新宿ReNYにて、ワンマンライヴをするはずだったのだが、新型コロナウイルスの感染拡大にともなう諸々の影響により、ライヴは延期となったのである。

その代わり、今日は、YouTubeで昨年行われた初のワンマンライヴが配信された。これは、昨年5月に渋谷WWWにて開催されたライヴのことで、私ysheartが以前ブログにレポートしたはずなので、そちらを探されたし。

続けて、夕方17時40分からは、メンバーの一人で24時間駅伝にも参加した、りりーがOBPを卒業するということで、那覇のDkokusai+(OBPの所属事務所兼イベント会場)からOBPの無観客ライヴが生配信された。

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国際通りにある、Dkokusai+

「遠距離」「AENAI message」「バイバイ」の3曲の後、写真で2015年、りりーが小学5年生だった頃から振り返り、それから、りりーからメンバー一人一人への言葉。りりーが、なめらかではないけど自分で考えた言葉で話しているうちに、私が、昨年5月にチェキを撮ってもらった時も含めて、これまでのイメージとは違った、りりーの内面が見えてくるようであった。やっぱり人は、話さなければ(話すのを目の当たりにしなければ)理解できない、という感じがする。

「君のそばに」「Song Yell」「Dar-win!!」を歌ってから、りりーが、メンバーやファンからのメッセージを受け取って19時15分ごろ終了。りりーは”OBPをよろしく”という話こそすれど、自身がどうするのかは話さなかった。その辺があっさりしているのは、この人らしいかもしれないな。

ただ、りりーの言葉の中で、”東京って大変ですよね”っていうしみじみした言葉が出たように、沖縄の人にとって、相変わらず、東京は果てしなく、超えるべき壁のような場所なのかなと思った。自分が、今世紀の初めごろに、沖縄からたくさん来た期間従業員の人たちも、やはり同じような緊張や心の壁のようなものを持っている、そういう雰囲気があった。沖縄の他のアーティストたちを見ても共通した雰囲気がある。OBPのリーダーの裕子さんは、東京OBPと沖縄OBPがあるわけじゃない、全部でOBPだ、と言っていたけれど、自分もそれがOBPだけでなく、スタッフやファンの間にも通ずる感覚であってほしいと願っている。同じ国で空間的距離が離れているだけだということに違和感を覚えるのは良いことではないと思っている。しかし、何が隔てているのか、まだ釈然としない。

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OBPの動画配信スタート前

ところで、このブログは、本来なら、2月1日に、沖縄の話で始めても良かったのである。

以前のブログの続編として、2月26日に第1回を公開したが、冒頭に載せた画像は、那覇首里城公園から見た市街地の景色である。それには、私のそういった想いがあったのであり、内容につながりがないのに、ただ載せたわけではなかった。

昨年、首里城の復元された正殿が全焼してしまったときには、自分が愛着を持っていた建物がなくなってしまったことに大きなショックを受けた。本当に自分の中のいくつもの時間と出来事をつなぐ要所としての首里城の焼失は、自分の人生のいくらかのつながりを消してしまうほどの重大事であった。

1月31日から2月1日夕方にかけて、OBPは、「首里城再建プロジェクト 沖縄縦断24時間駅伝」と銘打って、メンバーたちが沖縄本島を走り、バトンをつないだ。その行動を通して、首里城再建のための募金を募るという趣旨であり、私も賛同した。19日に届いたTシャツはその証である。

2月1日、ラストランナーの宜野座麻鈴がDkokusai+にゴールして、メンバーが「Progress」などを歌って、駅伝プロジェクトは幕を閉じた。麻鈴さん、裕子さん、ココナさんらと話ができた。東京から那覇に来るのは久しぶりで、三人を驚かせたことで僕の目的は達した(笑)それは冗談として、沖縄に新しい想いを込める貴重な旅行となったのだった。

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国際通りの夕暮れ時

1日お昼過ぎには、青空のもと、首里城公園にも訪れた。歓会門をくぐり、焼失した正殿から距離を隔てたところを通って時折、撮影もしたが、そこから見る限りでは、思ったよりも、首里城跡の外形は保たれていたように感じて、安堵した。

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かつては正殿が見えた。

僕が初めて首里城公園に来たのは、1994年のことで当時は、復元した正殿(今回焼失した正殿)は、まだなかった時代だったので、その時代=自分にとっての沖縄、にまで戻っただけだとも思える。

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守礼門

守礼門をくぐってもう一度振り返ると、大きな喪失感は穏やかに海のように消えていくようであった。

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久茂地の交差点に近い、那覇市役所。

沖縄から東京に戻ってしばらくして、OBPは、那覇市役所を訪れたようすを動画にアップ。私たちの募金は、無事に届けられた。那覇市には私たちの沖縄への想いを生かし続けてもらいたい。

 

※いったんこれにて。今後、加筆する可能性がありますが。

#04 NON KAIWA FESは行けなかったけど

本来なら、この時間には、六本木で、のんのライヴを観ていたはずだったのですが、新型コロナウイルスの世間への感染拡大の影響で、観客を動員してのライヴは中止となり、私は家でじっとしています。あ、そうだ、トイレットペーパーもないもんで(笑)、余計な動きをしないように努めております。今日はなるべく早く寝たいと思います(笑)

 

今月は、のん(能年玲奈さん関連で、映画を2本観ました。
まず、今年に入っても、時間の都合でなかなか観れずにいた、アニメ作品『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』です。
これの元となる映画『この世界の片隅に』(以下、”前作”については、旧ブログで書いたはずですが、私も結構、ぼーっとしちょりますけん、十分書いていないかもしれませんが(←すみません)、前作は、のんさんの、言ってみれば芸能的な表現活動の再生復興の重要なメルクマールとなったものだけに、本作(”さらにいくつもの”)の公開を、私も、応援チームのひとりとして楽しみにしておりました。

 

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上映する映画館が全国的に切り替わる時期だっただけに観ることができて安心。

 

今月、ようやく観に行って、本作は、前作で描かれなかった原作の場面が追加されている作品だということがわかりました。それらは、250カット、30分以上にわたるものですが、なかでも、私にとって印象的だったのは、すずとリンの長い対話のシーンです。全体のテンポに比して、二葉館の前で再会するシーンは、多くのことを示唆しているように、時間の流れがゆっくりとする感じがします。のちに、桜の木に二人で登るシーンも、前作に新しい息吹を吹き込んだように思えると同時に、リンの存在とは何なのか、ただリンが、すずとは幸せの尺度も女性観も違う、というだけではおさまらない何かを提起される想いがします。

 

 

さて、時間は過ぎて、2月も後半、連休のうちに、東北へ行きました。

昨年、私ysheart自らも映画撮影に参加させていただいた(ボランティアエキストラですが)映画の先行上映が、八戸、盛岡、名取(仙台の隣)などで行われ、私は、名取のイオンシネマに観に行きました。

 

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先行上映。私の出演シーンがあるかどうかが実は最大の関心事!?

 

星屑の町』という作品です。私は、エキストラとしての撮影時のロケ現場の様子と本作品での場面の様子を対照させながら、ああ、ここはこうだったのかと、その印象の変化を楽しいと思いました。僕は、今回のエキストラ出演については、映画の中に自分を見つけることができてうれしかったです(笑)これまでも何本か出演しましたが、公開されて実際には映った場面がカットされていたりしますが、今回はよかったです。もっとも、エンドロールには、エキストラのクレジットはされず、それが少し寂しかったですが。

 

『この世界の・・・』から、のんさんを見ていると、この映画でも、のんさんが、自分の想いをうったえに楽屋に乗り込んでいくときの声など、すっかり、なじんで、怒っているシーンでもどこかほのぼのしてコミカルで、心を朗らかにしてくれますね。

 

のんさんは、余分な表情や台詞の言い回しをしないで、淡白なようで、そうではなく、必要なことを鮮やかに伝えてしまう演技だなと思います。自転車をこぐ最初のシーンから、それだけで伝わってくるものがあり、他方、それ以上に何かを読もうとしなくていいんだと納得してしまいます。

のんさん以外のキャストの皆さんも、それぞれ人物の個性予想以上にタイトに演じていらっしゃったと感じます。

 

上映後の舞台あいさつで、のんさんは、東北は、ロック歌手としても、それ以外でもこれまで何度か来ているという趣旨の話をして、その中で、東北方言の訓練についても話してくれました。出演した菅原さんが録音したものを聞かせてくれて、それを用いて練習したようです。でも、司会進行のアナウンサーさんもおっしゃったように、本当に東北の人のように話していて、本当に自然に感情が移入できます。

 

退場の時、ふりかえってこちらに手を振ってくれました。

来月(3月)の無観客ライヴの放送は、時間や設定環境など合えば、ぜひ見たいと思っています。

 

※ここでいったん本記事は公開しますが、今後、加筆・補正の可能性があります。

#03 ライヴ・イン・ザ・ダーク

プラネタリウムへ行きました。Salyu(さりゅう)がかかわっているということしかわからない、情報がない状態で、東京スカイツリーの会場に初めて来ました。

『LIVE in the DARK tour w/Salyu
presented by コニカミノルタプラネタリウム

会場: コニカミノルタプラネタリウム”天空”
2020年2月27日(木)19時30分開演

プラネタリウムのドームの前方に、小さなステージがある光景は、たぶん初めて見ます。Salyuと、羊毛=市川和則(ガットギター)、須長和広(ウッドベース)の3人編成。僕は少し遠くにいたので、Salyuの顔は暗くてよく見えませんが、今回はそれこそがユニークで楽しいのです(笑)

 

夕焼けの雲が浮かぶ空の景色が、曲が進むにつれて、星空となり、やがて月が見える水底だったりしたように覚えております。

 

1 飽和

2 光りの束

3 再生

4 コルテオ ~行列~

5 VALON-Ⅰ

6 体温

7 landmark

8 messenger

9 to U

 

Salyuの歌声は健在でした。そして、聴いたことのある曲をもう一度、自分が一番好きで知っている時のようにタイトルから歌詞から、曲の全体のうねりから、あの時のように思い出せました。

 

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天空の入口に、Salyuあり。

 

新型コロナウイルスのニュースがひとりひとりに厳戒態勢をとらせているなかで、お越しいただきありがとうとの話。これを僕が書いている28日金曜日の、この時間に、LIVE IN THE DARKの最終の公演が行われていますが、この後、このプラネタリウムも、全国のいろいろなイベント会場と同様、上映休止に入るようです。

 

そんなときも、騒ぎすぎないように、との趣旨で話されました。宇宙の存在を頭上に感じながら、今回の演奏された曲たちをひとつの大きな曲としてとらえてほしいと。
実は、何年か前、池袋のプラネタリウム”満天”のほうで、Salyuのナレーションで、そちらは星座の話が聞ける番組を見たことがあります。今回は、その点は趣向は異なるのですが、プラネタリウムと音楽演奏とが融合して、これがまた、Salyuの音楽表現に新しい地平を開くことを予感させると同時に、そういえば、空を仰ぐことがなくなって久しいなあと、ふと思わせてくれたのでした。

 

Salyuが今回話した通り、Salyuは、Lily Chou-Chouリリイ・シュシュ)としてデビューしてから活動20周年、Salyuとして15周年となるわけです。”小さくはない”節目を、”元気で会えて”、そう、僕はいまだに、Salyuをこうしてライヴで見ていられることをうれしく思います。

 

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27日夜の東京スカイツリー

 

今日も、スカイツリーソラマチに来ました。今日は、プラネタリウムは入りませんでしたが(当日券はないくらい盛況だったようで何よりです)、東京の夜、程よい人の賑わいの中にいました。

 

この記事が公開される時間には、おそらく最後の上演が終わった時間になるでしょうね。

 

皆が、星空の下、正常なこころを取り戻せることを祈りながら。