ysheartの長い旅

観戦、観劇、鑑賞をきっかけに感傷に浸る旅の記録です。

#23 STAY METAL!BABYMETALを観た、輝ける2日間 ~長い旅のブログ1周年~

2月16日(火)、17日(水)の2日間は、日本武道館で、BABYMETALのライヴを観ました。これは久しぶりのBABYMETALとの邂逅、ysheartには、1年前に幕張メッセで観た時の屈辱感を一気に拭い去るような、価値ある輝ける2日間になりました。

 

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2月16日、開場時刻のあと。

 

10 BABYMETAL BUDOKAN DOOMSDAY-Ⅲ

 

IN THE NAME OF

Distortion

PA PA YA!!

ギミチョコ!!

ド・キ・ド・キ☆モーニング

シンコペーション

メギツネ

KARATE

From Dusk Till Dawn

ヘドバンギャー!!

Road of Resistance

-ENC-

THE ONE

イジメ、ダメ、ゼッタイ

 

【2月16日帰宅後のツイート】

BUDOKAN DOOMSDAY-Ⅲ ディスタンス等対策のおかげか良質な客層、素晴らしいパフォーマンス観れて気持ちが生き返った。1年前幕張の個人的"DYSTOPIA"も淘汰された。6曲目シンコペーション、9曲目From Dusk Till Dawn。よいセトリ。MOAMETAL手を振ってくれて嬉し。束の間、花粉症退散。#BABYMETAL

 

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2月16日、物販のお知らせ。

 

 10 BABYMETAL BUDOKAN DOOMSDAY-Ⅳ

(セットリストは3日目と同じ)

【2月17日帰宅後のツイート】

BUDOKAN DOOMSDAY-Ⅳ セトリ前日と同じだが、音楽と自分が一体になる感覚久しぶり。ギミチョコ、ド・キ・ド・キ☆モーニング何度聴いても見ても楽しい。THE ONEではMOAちゃんと同じ振付で南の2階で頑張った(笑)。すうさんの「…幸せなんだなあと感じています…」という言葉が聞こえた。#BABYMETAL

 

なお、SU-METALとMOAMETALの二人をサポートする”アベンジャー”は、岡崎百々子さんが務めました。

 

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2月17日。

 

昨年1月の時に、2020年10月10日が最終章だと告知があり、そうでなくとも、YUIMETALが卒業してから、そう遠くない未来に、BABYMETALの最終章、終わりの時が来ると覚悟はしてきています。

それだけに、あの時、会場の観客の中にいた違和感を、どこかで払拭して、もう一度、気持ちよく、BABYMETALのライヴを見届けたいと思い、この2日間を過ごしました。が、それができるかどうかという不安は、16日のライヴが終わった時点ですっかり取り払われたと感じています。

続く17日には、同じ曲目で気持ちも確かに強く持って、長い時間スタンディングの状態でも全く疲れを感じないのを久しぶりに体験でき(2008年のエイジアのライヴ以来、これほど快調に立った状態で過ごせたのは)、体を動かしたり、タオルの代わりに、以前購入したTシャツを振り回したり、心を開いて、ステージの二人(3人)に向き合えたと思います。

今回のライヴでは、中元すず香さんのありがとうの言葉が(16日「みんなの心の声がちゃんと届いているよ。今日は来てくれてありがとう」)たぶん初めて、聞くことができて、また、自分自身は、最愛ちゃんと目が合って手を振ることができて(←ファン心理です)、心が本当に、一つに、会場とも一体になれた気持ちがうれしかったです。

 

そして、BABYMETALの曲も思い出せました。ドキドキ☆モーニングは、実は最も好きなナンバー、ギミチョコ、KARATEも好きです。THE ONEは、音楽好きな視点からも極めて優れた作品ではと思っています。ここで、もあちゃんと同じように手を掲げる時間が夢心地でした(←ファン心理で書かせてもらっています)。

 

そうだ、Savior Maskとてもかっこよく、あれを装着できて(コロナ対策の道具とはいえ)、気持ちが高まったのも確かです。ありがとう。

 

ともあれ、BABYMETALのライヴについて、1年越しの課題を解決できました。

 

さて、このブログ、ysheartの長い旅を始めて、今日でちょうど1年が過ぎます。

今日、メールの方に、はてなさんからそのお知らせが来て、気がついたのです。このブログは、旧ブログを引き継ぐプレッシャーから、必ずしも、思い通りのポジティヴな筆致で書き進めることがかなっていませんが、ひとつひとつの思い出を今によみがえらせ、再生させながら、自分の中に自己肯定感を取り戻して、かつてのような、読み手に幸福や希望を差し上げられる空間として動かしていきたいと考えています。

2年目以降も、よろしくお願いします。

 

#22 那覇の旅から1年

沖縄那覇に行ってからちょうど1年が過ぎた。

久茂地の大きな交差点、その近くの横断歩道を渡った記憶がすぐに戻ってきた。あっという間だったかもしれないが、遠くへ出かけたことが、この1年あまりに少なかったせいか、だいぶ昔のような気もしてくる。

 

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2020年2月1日、首里の空。

 

1年前の今日、2月1日は、12時ごろに那覇空港に着いた。ゆいレールに乗って、首里城公園に向かい、いちばん外側の景色は、思っていたほど無残でないことに少し安堵して(それでも、その内側は酷かったいうような話を、あとでアイドルの一人から聞いた)、夕方、沖縄のアイドルの現場に行って、駅伝の完走を祝ったのであった。

 

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2020年2月1日、国際通りの夕空。

 

”駅伝”は、その焼失した首里城の復元のため募金を呼び掛けるプロジェクトであり、国際通り沿いにある事務所のアイドル・OBPのメンバーがタスキをつないだ。私もその場で楽しい時を過ごし、翌日、本当に久しぶりだった那覇を離れて、東京に戻った。

その後、日本は4月からの緊急事態宣言発令など、長いコロナ禍を体験してそれを脱していない。今は、そうやって飛行機で移動できる状況ではない。

私の外国人の知り合いたちも、ある者は予定していた東京観光で私と再会するはずがかなわず、ある者は、東京から遠い場所にいて会えないまま、日本を後にしていた。

人間関係はどうなってしまうのかと思った。こんなに移動しない私の生活はいつ以来だろう。いろいろと気力を失くしていく過程をたどった。

それにしても、そうやって実りのない1年をただ過ごしたのなら、こんな絶望的な話はない。するべきこと、やりたいことがわかっていながらその方向へ進めないとは。そのまま1年年を取っただけなのか!

 

ところで、沖縄関連では、些細なことかもしれないが、おっと思うこともあった。

12月に、東京都内の通勤圏内に、沖縄料理の食堂がオープンを果たした。できるだけ早く行こうと思い、16日の夜、仕事帰りに訪れたと記憶している。その時のツイートは、このように書いた。

 

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2021年2月1日撮影。沖縄料理の読谷食堂に寄った。

 

【12月16日午後7時19分のツイート】

今日、仕事帰りに。きれいな店で沖縄そば。店内に、良い曲が流れていたので、詞と曲とボーカルから、見当をつけて自力で調べたら、HYの「Last Night」だった。#読谷食堂

 

そして、年が明けて、今日はもう、2月1日。あの駅伝からちょうど1年の夕方。同じ店を再訪。

今度は、ゴーヤチャンプルー定食。

BGMは、今回は民謡。民謡は沖縄好きにもかかわらず詳しくない。全然駄目だな。しかし、先日亡くなった大城美佐子さんが歌っているのかなと想像した。曲はわからなかった。

 

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2021年2月1日撮影。また食べに来よう。

 

ともかく、今は、こういった飲食店は明日をも知れない危機的な状況にある。このようなひとときの穏やかな食事の文化を追い込んではならない。この時は、店内に、私含めて4人お客さんがいた。少しでも時間あれば来たい気持ちはある。頑張ってもらいたい。

私は、国民に等しく給付金の支援を行えばそれがいちばん良い経済効果をもたらすのではと思っている。飲食店をことさら支援するというのは、実際にも格差をもたらし、飲食店以外の一般社会人は恩恵を受けないがゆえに客足としては遠のかざるを得なくなるので、結局、誰も助からないと考える。

大事なのは、助け合いの精神なのですが。

そうだと意識する覚悟が誰にもない。

 

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2020年2月1日、首里城跡。

 

首里城の復元は、僕らが寄付したお金を役立てて進んでくれるだろうか、ということも想う。

1年前のこの時間は、国際通りに近い場所に泊まったysheartでした。あれから当然ながら、沖縄には行けていない・・・。